今シーズンも様々な新作ミュージカルが開幕しましたが、その中でも『ディア・エヴァン・ハンセン』は地味めな作品で、コミュニケーションが苦手で友達のいない高校生が主人公。(あらすじと登場人物はこちらに書いたので割愛。)
そんな作品が、主人公に近い年代とその親世代を中心に強い共感を得た。しかも、主人公と同じようにSNSの時代を生きる若者たちがその話題を拡散するのでますます人気が出るという好循環にハマることができ、今シーズン一のチケット入手困難な作品になりました。
前置きが長くなりましたが感想を。まずはこの作品の気に入ったところから。
主演のベン・プラット。23歳。この作品の宝といってもいいくらい。最初から最後まで熱演で、姿勢から仕草まで完璧にエヴァン。2曲目の “Waving Through the Window” というエヴァンのソロ曲を歌い終わった時点で、すでにクライマックスを迎えてしまったのではないかと思うほどでしたが、1幕の最後の “You Will Be Found” 、2幕終盤の “Words Fail” 、さらには最後の母親とのシーンまで、次々とそれを上回るようなパフォーマンスが繰り広げられ、圧倒されっぱなしでした。特に終盤、顔を真っ赤にして、汗と涙で水浸しになりながら “Words Fail” を歌っていた姿と、生まれたてのように幼く見えた親子のラストシーンは一生記憶に残るもの。誰かと比較する必要なんてなく、その人だけを観てトニー賞に値すると思えるレベル。(もちろんそういう人が他にもいれば獲れないこともありますが。)多分私が観た日、決して好調ではなかったと思うのだけれど、それでも役と作品に対する溢れるほどの思いがあるから、ちゃんと観客の胸を打つことができるんだな、と思いました。あの役を、あの演技を週8回。しかもほとんど休演していない。ちょっと心配になるくらい凄いです。昨シーズンのシンシア・エリヴォといい、こういう人が連続で出てくると、だんだんと感覚が麻痺してきそうで怖いです・・。
キャスト全員。というか、この作品は周囲がベン・プラットの演技についていけなかったら崩壊すると思います。対象となるトニー賞のアクティング部門すべてでノミネートを獲得したのは、多分『ディア・エヴァン・ハンセン』と『ハロー・ドーリー!』と『ファルセットズ』だけだったはず。(『ディア・エヴァン・ハンセン』は主演女優賞の対象者がいないので、主演男優、助演男優、助演女優の3つです。)
特に印象的だったのは母親役の2人。前半は息子を失って悲しみに暮れるマーフィー家の母親シンシアを演じたジェニファー・ローラ・トンプソンが素晴らしかった。崩壊寸前の家族をなんとか修復しようとする姿も、エヴァンを迎え入れたことで救われていくところも、すべてが繊細に演じられていました。ソロ曲はなかったけれど、台詞と佇まいが秀逸。
エヴァンの母親ハイディを演じるレイチェル・ベイ・ジョーンズは、前半〜中盤まではある意味1人蚊帳の外にいるのですが、2幕の後半からラストにかけて、怒り、悔しさ、そして最後は愛情を爆発させるので、目が離せませんでした。この作品の後半の展開にはやや難があるように感じるのですが、最後の最後、ベン・プラットとレイチェル・ベイ・ジョーンズの親子の熱演シーンが強く印象に残ったので帳消しに。
コナー役のマーク・ファイストは、独特の雰囲気を持っていて、生きているときの尖ったコナーが似合うと思っていたら、亡くなった後でエヴァンのもとに現れるコナーもピュアでなかなか良く、不思議な魅力のある人。トニー賞の助演男優賞にノミネートされたと聞いたときは正直驚いたけれど、「あぁ、確かに良かったな」と思える人でした。
ゾーイ役のローラ・ドレイフュス、ラリー役のマイケル・パーク、ジャレッド役のウィル・ローランド、アラーナ役のクリストリン・ロイドも、みんなよかったし、それぞれ印象に残りました。
人物や人物関係の描写。『ディア・エヴァン・ハンセン』の登場人物は全部で8人。誰かが2役以上を兼ねることもありません。人数は少ないのですが、それそれの登場人物が非常に細かく描かれ、かつエッジの効いたキャラクターになっているのがこの作品の面白いところだと思います。
“Waving Through A Window” と “You Will Be Found”。この 2曲は何回でも聞けます。ちなみに、『ディア・エヴァン・ハンセン』は台詞が多い作品で、楽曲はその中で比較的独立して存在している印象を受けました。ストーリーとの一体感のようなものはあまり感じられず。
プロジェクション。景色や背景の一部として使われることが多いプロジェクションを、この作品では主にSNSの投影に使っています。SNSとプロジェクション技術の相性は抜群。レイチェル・ベイ・ジョーンズがインタビューで「初めてリハーサルでプロジェクション付きで演じたときは倒れるかと思った」と言っていましたが、サイバーな感じが新鮮で良かったです。
オープニング。『ディア・エヴァン・ハンセン』はミュージカルであるにもかかわらず、主人公エヴァンの部屋で語られるモノローグから始まります。そして、その後始まる1曲目の “Anybody Have A Map?” を歌うのはエヴァンではなく、エヴァンの母親とマーフィー家の母親。この曲では2人の母親が息子との関係にそれぞれ苦悩している様子が描かれ、「どうしたらいいのか分からないから誰か教えてよ!」というフラストレーションが歌われるのです。
この作品の出だしでいいなと思うのは、「ワクワク感」というよりも「やれやれ感」がいっぱいなところ。どこかその辺にある普通の家族を覗いているような感覚です。2つの家族の日常を象徴するようなコマが効果的に入っており、客席中のあちこちから笑いの声が漏れてくる。1曲目が終わる頃は、この物語に出てくる2つの家族のことが面白いほどに分かるようになっています。
一方で、気になった点も少し。好みの問題かもしれませんが、この作品、あまりにも長い間嘘によって話を展開し続けるので、観ているうちにだんだんと居心地が悪くなってしまいました。ストーリーが進むにつれて、嘘をつき続けることに無理があると感じたり、もういいんじゃないの?と思ったりするところが・・。最後には嘘がばれることも容易に想像が付くだけに、「この先どうするの?何がしたいの??」という不安や疑問が膨らんでしまって、なんだか気持ちが悪かった。
さらに、嘘によって一部の楽曲のメッセージの受け止め方に困惑。真っ先に思いつくのが “You Will Be Found” という1幕ラストの曲です。上で書いた通り、曲としては大好きなのですが、劇中で聞くと「こんなに良いメッセージを持っている曲を嘘の真っ只中で歌うんだ・・」と少し複雑な気持ちになりました。
ちなみに “You Will Be Found” は作品のキャッチフレーズとしても使われています。聞こえもいいし訴求力があると思うのですが、ストーリーの展開や結末を考えるとちょっと説得力がないようにも感じます。コナーは自殺してから「彼を忘れちゃいけない」と注目されるようになったし、エヴァンだって「亡くなったコナーと友達だった」という嘘をついたことによって皆に一目置かれるようになった。『ディア・エヴァン・ハンセン』は、普通の方法で誰かが “find” される話ではないのです。フィクションとはいえ、脚本に引っかかる人や、作品のメッセージがぼやっとしていると感じる人がいるとは聞いていましたが、私も結構そのタイプに該当してしまったかもしれません・・。
それでも私はこの曲が大好き。ストーリーから切り離された形で歌われる限りは、純粋に心に響く良い曲だと思っています。シンシア・エリヴォやレア・サロンガがすでにイベントで歌っているように、コンサートなんかで歌ったら盛り上がるのもとてもわかります。
終演後のステージドアでは、10代後半くらいの子たちが「最初から最後まで泣きっぱなしだった」、「メイクが全部落ちて服が真っ黒になった」、「エヴァンの母親にも感動した」と興奮して話していたり、子どもに付き添う親たちが「勇気をもらった」と母親役のレイチェル・ベイ・ジョーンズやジェニファー・ローラ・トンプソンに記念写真やハグをお願いしたりしている姿をたくさん見かけ、ハマれば強く心に響く作品だということを実感しました。
2016年の終わりに開幕し、『ナターシャ、ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』と共にブロードウェイの2016〜2017年シーズンを前半から引っ張ってきた『ディア・エヴァン・ハンセン』。昨シーズンのトニー賞受賞作『ハミルトン』や、その前シーズンの受賞作『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』がものすごく知性を感じる作品だったので、冷静に見るとそこまでではないのかな・・と思うところはありますが、今シーズンにブロードウェイで開幕した新作ミュージカルの中では間違いなく話題・人気ともにトップクラス。また、ここまで現代的な内容と人物が描かれる作品は中々ないので、観てよかったと思っています。何よりベン・プラットの渾身のパフォーマンスと、彼とレイチェル・ベイ・ジョーンズのラスト15分間のシーンは、それだけでも観に行く価値がありました。ブラボー!
2016〜2017年シーズンのブロードウェイ感想はこちらへ。